親しんだスポーツ             内山啓次郎

2000年12月に保土ヶ谷区の住民になった頃、会社卒業まであと半年に迫っていた。医者からは、太り過ぎから脱して、健康体に戻る事を勧められたし、定年後の生活のイメージが描けない状態だった。

「健康体作りプロジェクト」と「会社卒業後の生活設計」を念頭においた模索が始まった。

・体重を無理なく落とすために、間食を止め、食事量を落とし、空腹感に襲われた時には、カロリーゼロの食品を少し食べて我慢し、次第に、胃を小さくしていった。少量の食事で満足できる様になり、順調に体重は減った。一方、運動は、ウオーキング水泳卓球の3つに絞って励んだが、体重が9Kg減った所で、医者から「もういいよ」と言われ、水泳は止めた。現在も、その体重は維持できている。

・保土ヶ谷スポーツ・センターで開催されていた「卓球教室」に通ったが、時には、抽選で外れ、卓球が出来なくなった。そこで、継続的に卓球を楽しむために「卓球同好会(球友クラブ)」を立ち上げた。

この同好会は20年以上続いており、現在、会員は36名。会場確保が難しくなったので、他のグループと提携し、相互にビジター参加可能にして、毎月10回以上、14面~16面の卓球台を確保している。こうして、卓球を楽しむ環境を整え、会長は3年で引退し、後輩に任せている。

・2019年5月に「脊椎管狭窄症」になり、2か月弱の間車椅子生活を経験し、歩ける様に回復したら、医者に「卓球」を止められ、退会した。最近は、「ラリー程度ならOK」の許可が出たので、2022年1月に復帰を試みたが、数分で、右足内側の筋が痛みリタイヤした。卓球へ復帰は医者に止められている。

・若い頃は会社の職場対抗の軟式野球試合で投手や三塁手をやった。会社との団体交渉中に「負けそうなので、来てほしい。」と呼び出され、急遽、ウオーミング・アップなしで、登板した為に、肩を壊した。以後、打力・守備力を生かして、一塁手に転向した。時には、痛めた肩をかばって投手もやったが、遅いボールしか投げられないので、「蠅が止まるようなボール」と揶揄された。今も、野球は好きで、TVの野球放送を時々見ている。会社のOB会に行くと、昔の野球仲間が集まってくる。

・入社後、ミッチーブームに便乗し、硬式テニスに打ち込んだ時期があったが、野球で肩を壊した後は、上からのサーブが出来なくなったので、硬式テニスも諦めた。

 

・このように、卓球、野球、テニスなど小さいボールを扱うスポーツは得意だったが、大きなボールを使うスポーツ(バレーボール、バスケットボール、サッカー、ラグビー、等、)は苦手で、メンバー不足の時に参加する程度であった。高校の体育の時間に雪上でラグビーをやり、大柄の同級生に突き飛ばされたり、タックルで倒したりした。ラグビーはルールを知っているので、TV放送を時々見ている。

 

・社会人になってから、「運動神経が発達しているから」とおだてられて、ゴルフをやったが、戸塚CC、三好CC、多治見CC、富士CC、等での「接待ゴルフ」が殆どであった。ハンディキャップは18程度で、熱中する事は無かった。現在はゴルフから引退できて、ホットしている。ゴルフは止まっているボールを打つので簡単そうだが、目標にピッタリ止める事が難しい。年齢のせいで飛距離が落ちると、ゴルフへの興味を失って、ゴルフは卒業した。

 ・「小さいボールの球技は親しめたが、大きいボールの球技は苦手だ。」と言ったら、仲間が冗談を飛ばした。「もっと小さなボールはやらないのか?」という。「何だ、それは?」と尋ねたら、「パチンコや仁丹はやらないの?」だって。それはスポーツかよ!