恩師との別れ

2018年12月16日、仙台のウエスティン・ホテルのホールで恩師との「お別れ会」が大学の主催で開催された。 お別れ会終了後、同ホテルの25階で「西沢研究室・半導体研究所」主催の「惜別の会」が開催され、出席した。「惜別の会」には学長や、多くの先生方に混じって、先生のお嬢さんが「家族代表」で出席されたので、家庭での先生の様子が聞けた。

 1956年4月、西沢潤一先生が29歳の助教授の頃、20歳数か月の我々が西沢研究室に押しかけ、2年間、ご指導頂いた。我々が押し掛けた当時は、先生が研究室を持った年(研究室を作り上げる時期)で、狭い研究室を有効利用する為、中2階を作る事から関わった。中2階ができると、半導体製造装置、計測器、実験用の電源装置などを自作せざるをえず、研究室の基礎を作って卒業した。多くの方がゲルマニュームを素材としていた時期に、一歩先のシリコンを相手に悪戦苦闘していたが、半導体材料は現在では化合物半導体やシリコンカーバイド(SiC)の時代に移っている。当時は半導体の黎明期であり、参考資料が少なく、実験素材の半導体は「輸入品と自作の素子」であった。試作品の素子は温度の影響が大きく、温度の影響を受けずに特性を測定する事に苦労した。

 先生は、既に、有名な「PINダイオード」の発明終っていたが、我々が卒業後、半導体レーザー、光ファイバー、赤色と青色の超高輝度LED、蒸気圧制御による半導体製造法の確立、静電誘導素子の開発、テラヘルツ素子の開発など、多くの研究成果を上げ、学士院賞、紫綬褒章、文化勲章を授与されている。

IEEE(米国・電気学会)から「ジャック・モートン賞」や「エジソンメダル」等贈られ、更に、IEEEが授与する「ニシザワ・メダル」が創設されている。一方、ノーベル賞の候補に数度ノミネートされたが、受賞していない。

 先生が発明した素子により「直流高圧送電」が可能になり、長距離、低損失の送電が、ヨーロッパや中国で実用化され、日本でも1979年から直流送電が使われ始め、送電による損失が大幅に減った。最近はテラヘルツ分野の素子を開発し、新たな応用の可能性を探っておられ、新たなセンサー分野への応用に関連する資料を送って頂いた。

・先生は、光通信の3つのキー素子(発光ダイオード、受光素子、光通信ケーブル)の発明に関わっていて、光通信の父とも言われている。

・研究分野だけでなく、多趣味でも有名で、美術や音楽分野への造詣が深い。海外の美術館で展示されていた絵(抽象画)が上下逆に展示されている事を指摘して、展示し直させた逸話がある。音楽分野では、自ら楽しむのは勿論、オーディオアンプに使える「三極管特性を持つ半導体」を開発し、我が家のオーディオ装置の出力段にもこの素子が使われている。

 先生のご父君(西沢恭介名誉教授)は103歳まで生きた方で、ご自分も長命の自信があり、私と9歳の年齢差があるにも関わらず、ハンディなしで、長生き比べの賭けをしていた。賭けに勝ったが嬉しくない。

 私は社会人になる時、工場のオートメーション産業に身を投じたが、難局に直面すると「先生ならどう対処するだろうか?」と考えながら、難局を乗り切ってきた様に思う。