思い出の旅 奈良パート2(春日大社・東大寺・興福寺)   田邊慶子

2日目のはじめに「春日神社」を訪ねました。昔、訪れたことがあります。参道を歩いていると神苑の、どこからともなく神鹿が現れて、後ろからついてきました。道案内をしてくれているのでしょうか?

★古来、天皇や上皇の崇敬篤く、また藤原氏の氏神であり関白を始めとする多くの貴族が参拝し、数多くの品々を神様へ奉納しました。その点数と質の高さから春日大社は「平安の正倉院」とも称されています。 総所蔵は約3000点におよび「国宝殿」で展示されているとのことです。

800年前の昔から今に至るまで貴族や武士をはじめ庶民から奉納された3000基にも及ぶ灯篭に火を灯す神事があり「2月の節分」と、「81415日、両日の中元万燈籠」の年3回、夜だけ行われ「参道の石灯篭」から「釣灯篭」が並ぶ本殿の朱塗りの回廊などは「王朝絵巻を見るように幻想的」とのことでた。

1.身の引き締まる思いで鳥居をくぐる。
1.身の引き締まる思いで鳥居をくぐる。
2・本殿の近くに聳える社頭の大杉(高さ25m)の横から斜めに屋根を突き破って伸びているのがヒノキ科の柏槇(びゃくしん)です。
2・本殿の近くに聳える社頭の大杉(高さ25m)の横から斜めに屋根を突き破って伸びているのがヒノキ科の柏槇(びゃくしん)です。

3・★驚くのは杉の左裏側に屋根を突き破って伸びている「柏槇」です。生命力の凄さを感じますね。(左側の寄りかかっている木が柏槇です。2と3の画像を見比べて下さい。)
3・★驚くのは杉の左裏側に屋根を突き破って伸びている「柏槇」です。生命力の凄さを感じますね。(左側の寄りかかっている木が柏槇です。2と3の画像を見比べて下さい。)
4・イチョウの古木が添木で支えられています。
4・イチョウの古木が添木で支えられています。
5・朱塗りの回廊の「釣灯籠」が圧巻でした。
5・朱塗りの回廊の「釣灯籠」が圧巻でした。

春日大社を後にして「東大寺」を訪れました。ここは何度か訪れております。東大寺の近くに「お水取り」で有名な二月堂があります。過去に三月堂にも訪れたことがありました。

「東大寺天平創建」大仏殿(東大寺金堂)国宝 

 聖武天皇の発願により創建された東大寺の本尊(大仏様)は盧舎那仏で天平(752年)4月に「大仏開眼供養会」が盛大に厳修され、その後も諸堂の造営は(789年)3月の「造東大寺司の廃止」まで続行されました。

「江戸期再建」 

 ところが(1567年)10月に三好・松永の乱が起こり、伽藍は二月堂や南大門・鐘楼など僅かな建物を残して灰燼に帰してしまいました。時は戦国時代、本格的な復興は遅々として進まず、約120年間、本尊の「盧舎那仏」は雨ざらしの状態だったということです。

★公慶上人が漸く江戸幕府の許可を得て、全国くまなく勧進行脚を実践され、(1692年)に「大仏開眼供養」を執行されました。大仏殿の完成は上人の没後、18世紀後半に現在の寺観が整えられました。

1・東大寺・大仏殿金堂
1・東大寺・大仏殿金堂
2・大仏殿・金堂の「盧舎那仏」
2・大仏殿・金堂の「盧舎那仏」

3・大仏殿金堂・四天王像(多聞天)
3・大仏殿金堂・四天王像(多聞天)
5・大仏殿金堂・(虚空菩薩))
5・大仏殿金堂・(虚空菩薩))
4・大仏殿金堂・四天王像(廣目天)
4・大仏殿金堂・四天王像(廣目天)
6・大仏殿金堂・(如意輪観音)
6・大仏殿金堂・(如意輪観音)

2日目の最後に興福寺に立ち寄りました。

興福寺は南都七大寺の一つで藤原氏の祖、藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。創建年は天智天皇8年(669年)で開基は藤原不比等 です。

★興福寺・「東金堂」(とうこんどう)

 神亀3年(726年)聖武天皇が建立され、その後5度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は室町時代(1415年)に再建されました。

★興福寺・「五重塔」

 五重塔は天平2年(730年)興福寺の創建者である藤原不比等の娘・光明天皇の発願で建立されました。

 その後、5回の焼失、再建を経て現在の塔は応永33年(1426年)頃に再建されたものと伝わっています。

1・興福寺・「東金堂」(とうこんどう)
1・興福寺・「東金堂」(とうこんどう)
2・興福寺・「五重塔」
2・興福寺・「五重塔」