思い出のアルバム 奈良の旅パート3 (高松塚古墳、石舞台古墳、樫原神宮) 田邊 慶子
★奈良3日目は古代ロマンの地・飛鳥地方を訪ねましたが奈良盆地に囲まれた、のどかな田園風景が広がっていました。小高い丘を見たときは、これが?と言う思いでした。
★明日香と飛鳥、元々日本には漢字がなくて「アスカ」と呼ばれていましたが漢字の伝来とともに当て字で「明日香」となり、時代が経過するにつれ「飛鳥」と呼ぶようになり2017年・平成の大合併で明日香村を含めた周囲の3村が合併し「飛鳥」が現在に至るとの事です。
★2005年の発掘調査によって藤原京期(694年~710年)の間と確定されました。
墳丘の発掘調査と石室の解体修理は2006年(平成18年)10月2日に開始され令和元年度まで修復が行われ、修復された壁画は文化庁による保管管理が行われており、「国営飛鳥歴史公園」内にある「高松塚壁画館」に収められて年に数回一般公開が行われているとのことでした。 「石室の壁画」の中でも「女子群像」が有名ですね。
★高松塚古墳を後にして「石舞台古墳」へ向う。横穴を持つ方形墳築造は7世紀の初め頃と推測され、この地で政権を振るっていた「蘇我馬子」の墓ではないかと言われています。
昭和8年と10年に本格的な調査が行われ、その結果、玄室の長さ7.7m・幅約3.5m・高さ4.7mで大小30数個の花崗岩が使用されており、石の重さの総重量は2300t大規模な古墳であることが判明されました。
★日本最古の正史ともされる「日本書紀」において日本建国の地と記された橿原。 天照大神の血を引く(後の神武天皇)が豊かで平和な国づくりをめざして九州高千穂の宮から東に向い、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)の東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年・今からおよそ2600余年前のことと言われております。