学生寮時代の話       '21.10.07         内山啓次郎

1954年4月から2年間(1年生~2年生)新築の学生寮の初代の入寮生として2年を過ごした。

現在は、寮の同窓会の幹事長を引き受け、3年後輩まで含む4学年次の会員が集って来る。

会員の高齢化により同窓会を解散したいが、コロナ禍のため、「解散会」を開催できない。
幹事団も会員も寿命が尽きて、減ってゆく。蔓延防止緊急事態宣言が解除されたが、再拡大の懸念があるので、同窓会の開催時期を2022年秋まで延期する事にした。
寮生活は、今思うと、貧しくも面白い期間であった。

1.睡眠不足「学生寮に入れば、奨学金とアルバイトで暮らせる。」高校2年の夏休みのアルバイト先で、アルバイトに来ていた大学生から聞いた情報で進学先を決めた。

入学試験の時の宿は、その学生寮(有朋寮)にした。費用は安く済んだが、2段ベッドに4放り込まれ、睡眠不足になった。良く、合格できたものだ。

2.少年院前;2人部屋が120室で240人の学生が暮らしていた学生寮は新築で、気に入ったが、最寄りのバス停の名前がよくない。「狩野橋 少年院前」。

3.エンゲル係数60%;入学後、奨学金とアルバイトでの生活を軌道に乗せるのに3ヶ月を要した。寮費は毎月・2,200円で、3食喰える。食券(¥870で15日分)を買えない学生には「食券前借制度」があった。やがて、物価高騰の為、1日58円で3食を賄うと、栄養不足になる事が問題として提起され、58円で朝晩の2食とし、栄養を充実させる提案があり、寮生大会で2晩に及ぶ大激論の末に、可決され、昼の弁当は廃止になった。この頃のエンゲル係数は60%になる。授業料(¥7,000,-/年)の減免申請も活用した。

4.醤油ライス  昼食代の出費を抑える為、学食ではライスだけを注文する。それに醤油をかけて食べると結構おいしい。ウインク付きで、沢庵2~3切れをサービスしてくれる学食のお姉さんがいた。「お前は切れか?俺は切れだぞ」変な自慢をする始末。

5.親元に送金初期のアルバイトは、圧延工場等の力仕事を避けて、工場の電気炉運転の夜勤、ガリ版の原紙きり、商店街のサンドイッチマン、ビラ配布、アンケート調査業務、等で稼ぎまくった。しかし、仰天したのは、アルバイトで稼いだ金を病気がちの「親元に仕送り」している豪傑の寮生がいた事だ。お陰で、「仕送りなし生活」の悲壮感が消えた。

6.採用大学進学を目指す高校生に模擬テストを実施する組織として「進学指導会」が出来たので、問題作成、模範解答の作成、採点、集計等のアルバイトが休日や夜間に出来て、授業に出る回数が増えた。模擬テストへ勧誘、試験会場の監督は昼の仕事なので敬遠した。

当時、進学指導会は事務処理量の増大で困り、女子の経理担当を募集。代表が面接し、美人の事務員を採用した。以後、「進学指導会事務所」は美人目当ての学生が用もないのに、押しかけて、賑わった。しかし、代表が卒業時にその美人を「自分の奥さんに採用」して東京へ拉致した。畜生め!最近、OB会で、元美人の奥様に会ったが、昔の面影はない。)

7. 寮の部屋割り調整仲間同士でグループを作って部屋を連ねる「グループ制度」が発足            し、部屋割りの調整役を任された。

医学進学、ガリ勉、聖書研究、思想研究、文学研究、英国法制史研究、社会心理研究、経済

研究、理学研究、農業研究、語学研究、映画研究、中国語研究、東洋文化研究、読書、友

人、セッツルメント、スポーツ、 タンツエン(ドイツ語のダンス)、中南米音楽研究会、デ

ィレッタント、コーラス、ヴァンデルング、書道、静寂、スケッチ等、26のグループから申

請があった。

進学試験を控えた「医学進学Gr.」に敬意を表して、静かな環境を用意し、他は平等を原則と

し、グループが上下階や別棟に分割されない様に、部屋を割り当てた。

文系の連中には論客が多く、勝手な理論を振りかざして、気に入った場所の確保のために熱

弁を振いに来る。調整と言うよりは、勝手な論理を封じ込める役割である。5日間かけて調

整を終わったが、議論に負けない術を習得する契機になったかも?

8.女子寮との交流:「メッチェン(女の子)と交流の場を作れ!」という寮生の切なる願いを実現するため、文化部委員(1年生)の時に、勇気を奮って、1人で宮城学園の女子寮を訪問し、寮の舎監の先生と女子学生に囲まれ、寮の委員長と交渉。「合同のバス旅行計画」を取り纏めた。

交流日の当日、ドテラ姿しか見た事の無い連中が、綺麗に変身して、角帽まで被って出て来たので、出欠確認に手間取った。台のバスに乗り込み、「鳴子の紅葉狩り」ですっかり仲良くなり、多くのカップルが誕生したが、殆どはヶ月で振られてガックリ。結婚に至った話は聞かない。
しかし、この企画は後輩に引き継がれ、同じ大学の女子寮である「如春寮」との合同ハイキングに発展し、この中からは結婚組がいた。最も親しい友人だが、もう、天国へ旅立った。

9.第8教養部;寮は定期的に部屋替えがある。上段のベッドは下からよく見えない為に、忘れ物が多い。ヴァンデベルデ氏著の「完全なる結婚」なる本は人気があり、忘れて行けば、回覧本になる。中には、「そんな本を読んでも、理論だけで、実技が肝心」と言い、俗称・第8教養部=東8番丁(色町)=に「実習」に行く奴がいた。実習で学んだのは、仙台弁で「決まったの?」(「終わったの?」の意)という方言だけか?

10. ゲルピンの味;寮の食堂内に「毎度ダンケ(ドイツ語でサンキュウの意)」が口癖のオジさんが経営する売店があり、12円で、たばこ(新生)をバラ売りしてくれた。

冬は各部屋に火鉢が配られ、寮生の議論の中心に鎮座する。火鉢の灰の中には、昨年以前の吸殻が残っている。ここで、必需品であるパイプが活躍するのだが、古い吸殻は「辛く」、ゲルピン(ゲル⇒ゲルト=ドイツ語で「お金」、ピン=ピンチ⇒お金がない状態)が身に滲みる。 

11.  焼き芋の匂い;冬は火鉢が各部屋に配られて、これで暖を取り、湯沸かしや、夜食も作 る。調理器具は洗面器や薬缶だが、匂いは遮断できないので、食べ頃には箸を持った仲間が   集まる。食器は無いので古新聞を持ってきて、使う。焼きそばに古新聞の文字が転写されるので、判読する楽しみもある。

ある晩、焼き芋の匂いに気がつき、廊下に出たが、料理している部屋を特定できず、自室に戻ると、自室が一番強く匂う。しかも、匂いの発生源は上のベッドの辺りと見た。さっとカーテンを開けると、電気スタンドが倒れ、枕が焦げていた。火事にならず良かったが、焼き芋の匂いに感じるのは空腹のせいか?情けない。

12. サンマパーティ;腹一杯旨いものを食ってみたい。そこで、塩釜に行き、漁船の船長と交渉して、サンマを大量に仕入れてきた奴等がいる。冬に各部屋に設置される火鉢と洗面器が調理器具になる。仲間と一緒に腹 一杯食べたが、部屋中に飛び散った脂は床板に浸み込み、数ヶ月は臭いが残った。

13. マタイ伝;休日が続くと、寮生は故郷に帰宅する。我々はアルバイトで稼ぎまくる。アルバイトが無い休日、仲間の金を集めても30円しかない。知恵を結集し、寮内の空き瓶、空き缶、古紙等を集め、業者を呼んで査定させたら、数百円になった。チラシ配布のアルバイトで「配布した筈のチラシ」も大量に発見された。和式トイレを跨いだら、前の方に「聖書」の「マタイ伝」が開いてあり、思わず笑った。布教の為に牧師が配布した聖書はトイレ付近で大量に回収され、現金化され、我々の胃袋に収まって、我々を救済してくれた。アーメン。

  14. 教科書は要らない?;教授の顔を知らずに「追試」のお願い行った失敗談は有名。そこで、1は出席し、教授の顔を記憶する。先輩から借りた「心理学」の教科書を短時間読み試験に臨んだ。授業内容は知らないので、試験問題には回答できないが、計画通り「セツルメント活動家の心理」を、解答用紙の表裏に書きまくったら、単位が取れた。先輩から聞いた「単位取得ノウハウ」は貴重

15.栄養補給作戦2年生の夏、寮委員長の為の過労か?急性腎炎に罹り、大学病院・長町分院に入院した。早速、私の入院情報を女子大の寮に流した奴がいる。しかも、「病人の好物」と称して、自分が食べたい物の情報に付け加えた。情報を流した男が「そろそろお見舞いが届いたろう。」と、私の病室に入り、自分の栄養を補充する作戦に利用された。当方は、ヶ月の入院の末、12月に退院。留年を覚悟した。しかし、頑張ったら、必要な単位を獲得できて、奇跡的に3年生になった。しかし、2年生の後半から始まった「電磁気学」と「交流理論」には出席していなかったので、その単位取得には苦労したが、何とかなった。頑張れば、奇跡が起こる。

16.新郎の代役寮で同じ釜の飯を食った連中は卒業後も仲がいい。「フィアンセを連れて仲                人へ挨拶に行くのは新郎」と相場が決まっている。所が、挨拶参上の当日に、「外せない仕事が発生した。俺のフィアンセを連れて、今日、仲人宅に挨拶に行ってくれ。」と友人に電話で頼んだ元寮生がいる。頼まれた本人も、仲人も、フィアンセも仰天。今も語り草に。

2人は無事結婚した。 頼んだ方も、頼まれた方も、今は故人となり、あの世で冗談を楽しんでいるかも。